論理の世界

プログラムをやっていると、理屈の世界で没頭する事になるので論理的な整合性をとても求めてしまう。
「質問に対する回答」というものは、質問の意図を明確した上でそれに対して直接回答するものであるべきだと考えてしまう。

けど、世の中はそのようには回らないことが多くある。
直接、イエスかノーか?で答えられる問題を聞いても

「その態度が気に入らない」
「相手の感情を逆撫でしている」
「そういう考え方もあるが、別件として云々」

という答えが帰ってきてしまうことのほうが、どっちかというと多い。

例えば普天間の件ではアメリカは「合意を履行するかどうか?」を聞いているので、国内事情や議論はさておきアメリカ側から見える結果としては日本は「ノー」という回答をするのが正しい。

「ノーとは言わないけれど、様々な事情をご説明させていただくとこうでありまして、その辺の事情をご理解いただいた上で察してください」

なんていう回答が誰に対してどんな利益を与えるのかがサッパリ分からん。

だけれども、日本ではこういうことを厳密に言い出すと「細かい奴だ」と、謎のレッテルにより負ける傾向にあるのは事実で、そのためにプログラマというのはとても立場が弱いものになってしまう。

無念('A`)